松山東雲学園百年史(通史編)

目次

第1編 黎明期[1549年(天文18)〜1885年(明治18)]
第1章 キリスト教の世界伝道

第1節 ローマ・カトリック教の日本伝道
   ◎ザヴィエルの来日と日本伝道
   ◎ローマ・カソリック教の迫害と鎖国
第2節 プロテスタント・ミッションの来日と日本伝道
   ◎各ミッションの来日
   ◎横浜バンドと押川方義
   ◎熊本バンドの形成
   ◎札幌バンドの形成
   ◎アメリカン・ボードと組合教会
第2章 四国最初のプロテスタント伝道と教会形成
第1節 松山と今治へのアメリカンボードの伝道と今治教会誕生
   ◎松山伝道の発端
   ◎今治教会の誕生
第2節 今治教会の松山伝道と松山第一基督教会誕生
   ◎松山講義所の設置
   ◎松山第一基督教会設立

第2編 草創期[1886年(明治19)〜1890年(明治23)]
第1章 松山女学校の創立
第1節 創立者二宮邦次郎
   ◎生い立ち
   ◎今治教会へ
   ◎松山教会創立
第2節 本校創立への道
   ◎ピューリタニズムへの共感
   ◎女子教育こそ緊要
   ◎松山女学校の誕生
   ◎創立記念式
第3節 開校式
   ◎校舎物色
   ◎開校式
   ◎商議員と教師
   ◎二番町校舎
第2章 創立当時の協力者たち
第1節 「無償の奉仕」
   ◎増田シズ
   ◎蜂谷芳太郎
   ◎松浦政泰
   ◎渡辺福次
   ◎岡本良知
第2節 宣教師の応援
   ◎E・B・ガニソン
   ◎W・H・ノイズ
   ◎C・ジャジソン
   ◎A・E・ハーウード
第3節 喜多川久徴と吉田清太郎
   ◎喜多川久徴
   ◎吉田清太郎
第4節 長屋忠明と井出正光
   ◎長屋忠明
   ◎井出正光
第3章 初期の教育
第1節 教育課程
   ◎学科課程
   ◎当時の女子私塾
   ◎松山女学校の場合
第2節 キリスト教諸学校との交流
   ◎雑誌「つぼみ」

第3編 受難期[1890年(明治23)〜1906年(明治39)]
第1章 国粋主義の台頭と教育界
第1節 国家と宗教・教育界
   ◎国粋主義の逆浪
   ◎商議員の離脱
   ◎吉田清太郎再び学校へ
第2節 二番町校舎新築
   ◎募金運動盛り上がる
   ◎広々とした校地瀟洒な校舎
   ◎国家主義の波
   ◎第一回卒業式
第2章 開校十年記念[1897年(明治30)]
第1節 記念式並びに卒業式
   ◎石原良
   ◎城ノブ
第2節 吉田清太郎三度学校を援助
   ◎優秀女子教員招聘
   ◎薙刀教育
   ◎至誠第一
第3節 東正義と富田政
   ◎東正義
   ◎富田政
   ◎初期の教師たち
   ◎女子学校の経営は女子のみで
第3章 二宮邦次郎の辞任
第1節 二宮校長東京へ
   ◎二宮校長巡回伝道師となる
   ◎二宮校長東京転出を決意
   ◎一つの裏面史
第2節 西村清雄の救援
   ◎ジャジソンと交代
   ◎松浦巖暉
   ◎卒業生救援

第4編 確立期[1906年(明治39)〜1931年(昭和6)]
第1章 アメリカン・ボードへの移管

第1節 移管の趣旨と経緯
   ◎存廃の危機打開策
   ◎アメリカン・ボードと交渉
   ◎アメリカン・ボード救援を承諾
第2節 コーネリア・ジャジソン後任校長に決定
   ◎後任校長の選考
   ◎松山夜学校の犠牲
第2章 第二代校長コーネリア・ジャジソン
第1節 ジャジソン校長の生い立ち
   ◎名門ジャジソン家
   ◎小さき祈り
   ◎松山女学校へ
第2節 ジャジソン時代の教育
   ◎教育課程
   ◎寄宿舎(一)
   ◎岡島倭子
第3節 宗教教育活動
   ◎共励会(一)
   ◎学生祈禱日(一)
第4節 校友会
   ◎交友会報
   ◎校友会会則
第5節 第三次発展への準備
   ◎県内中等学校情勢
   ◎手芸科を廃し普通科一本に
   ◎ジャジソン校長帰米
   ◎校長代理はO・S・ホイテ
   ◎H・B・ニューウェル
第6節 松山城麓の購入と移転
   ◎松山城
   ◎松山城東郭を購入
第3章 ジャジソンと西村清雄
第1節 ジャジソンと西村清雄
   ◎コーネリア・ジャジソン
   ◎西村清雄
   ◎コーネリアと清雄のであい
   ◎石手幼稚園と日曜学校
第2節 やまぢこえて一人ゆけど
   ◎宇和島伝道
   ◎讃美歌404番
   ◎三輪源造
第3節 ジャジソン校長を送る
   ◎送別会
第4章 第三代校長オリーブ・S・ホイテ
第1節 みこころのままに
   ◎生い立ち
   ◎ホイテ校長の面影
第2節 教育・経営の整備
   ◎理事会の創設
   ◎品性の教育
   ◎五年制女学校
   ◎ドルトンプラン
第3節 校章、校旗、校歌の制定
   ◎校章
   ◎校旗
   ◎校歌
第4節 服装(通学服)
   ◎初期の服装
   ◎セーラー服
   ◎服装指導の方針
第5節 母校支援の活動
   ◎お山のバザー
   ◎大音楽会
   ◎魅し去られた聴衆
   ◎みつばさ
第6節 教育的環境づくり
   ◎礼拝
   ◎宗教的諸集会
   ◎学生祈禱日(二)
   ◎共励会(二)
第5章 指定女学校として認可
   ◎創立40周年への備え
第1節 高等女学校か指定女学校か
   ◎文部省訓令第12号
   ◎指定女学校を選ぶ
第2節 創立記念日の制定
   ◎10月17日創立記念日
   ◎9月16日創立記念日
第6章 創立40周年を祝う
第1節 家庭会の創設
   ◎松山女学校家庭会
第2節 国家と教育の問題
   ◎学則と教育勅語
   ◎学校行事の中の国家
   ◎校庭は桜の園に
第3節 創立40周年記念式典
   ◎記念祝賀式
   ◎歓迎会、午餐会、校友会
   ◎文芸会
   ◎音楽部の活躍
   ◎記念礼拝(教会)
   ◎追悼会
   ◎記念展覧会
   ◎沿革史吾校の歴史
   ◎記念講演会
第4節 学校基本金の設定
   ◎基本金募金発起人会
   ◎募金の力は祈りより
   ◎ホイテ校長世界旅行
   ◎ホイテ校長の土産
   ◎なおも募金はつづく
第5節 初代校長二宮邦次郎の召天
   ◎大正15年9月7日
   ◎二宮校長の家族
第6節 校有地の確認
   ◎正門前の通路
   ◎城門型正門の新築
   ◎正門前に小遊園地
第7節 校友会支部の設立
   ◎東京支部
   ◎大阪支部
   ◎神戸支部
   ◎西条支部
第8節 校友会を同窓会と改める
   ◎同窓会規約
第9節 全校舎改新築計画
   ◎雨天体操場
   ◎体操館フル運転
   ◎寄宿舎(二)
   ◎新寄宿舎完成
   ◎教師館
   ◎家政館
   ◎幻の将来計画
第10節 メリルとクラークとパミリー
   ◎カタリン・メリル
   ◎夏期修養会(臨海キャンプ)
   ◎ラズマンド・クラーク
   ◎ハリエット・パミリー
   ◎松山同情館
   ◎幼稚園を附設
   ◎勝山幼稚園(一)
第11節 共励会より向上会へ
    ◎向上会
    ◎体育部の向上
第7章 松山東雲高等女学校
第1節 高等女学校への認可申請
   ◎指定女学校より高等女学校へ
   ◎校名は東雲に
   ◎高等女学校令と宗教教育
第2節 専攻科の設置
   ◎専攻科の正式認可を申請
第3節 3人の教師たち
   ◎中村ミワ
   ◎青野ミツヱ
   ◎青野一族
   ◎魚木梅子
第5編 試練期[19031年(明治6)〜1945年(昭和20)]
第1章 軍国主義への傾斜

第1節 教育による国家形成
   ◎勅語奉読
   ◎遥拝と神社参拝
   ◎奉安殿
第2節 母校自主独立への道
   ◎アメリカよりの援助
   ◎試練の中独立へ
   ◎財団法人松山東雲高等女学校
   ◎独立期成会
   ◎松山市、宇和島、大洲地方
   ◎京阪神地方
   ◎基本金募集部
第2章 創立50周年[1936年(昭和11)9月16日]
第1節 創立50周年記念式典
   ◎記念式典
   ◎祝賀会その他
第2節 ピアス館完成
   ◎ビッグ・プレゼント
   ◎白亜の殿堂
   ◎タイムカプセル
   ◎二番町校地売却
   ◎フランク・ケーリ
第3節 第2代ジャジソン校長召天
   ◎1937年9月17日
   ◎埋髪追悼式
第3章 強まる非常時体制
第1節 国策と学校
   ◎国民精神総動員
   ◎強調週間いろいろ
   ◎愛国子女団
   ◎興亜奉公日
   ◎将兵の送迎
第2節 勝山幼稚園(二)
   ◎本校へ移管
   ◎学校と幼稚園
第4章 第4代校長西村郁夫
第1節 戦争と学校
   ◎聖書は課外へ
   ◎修身公民科
   ◎研究懇談会
   ◎紀元2600年
   ◎校長の交替
   ◎悲しい創立記念式
   ◎さよなら、ホイテ名誉校長
第2節 西村郁夫時代の教育
   ◎西村郁夫
   ◎創立精神に還れ
第5章 臨時体制下の学校
第1節 第二次世界大戦
   ◎キリスト教色の払拭
   ◎校歌の訂正
   ◎校訓
第2節 学校報国隊出動
   ◎学校報国隊
   ◎学徒勤労動員
   ◎中国よりの留学生
第6章 学園戦禍を受ける
第1節 西村郁夫校長の病死
   ◎校長、病に倒れる
   ◎校長を偲んで
第2節 松山空襲
   ◎学校にも焼夷弾
   ◎寄宿舎も焼失
   ◎焼夷弾の焼跡から

第6編 復興期[1945年(昭和20)〜1961年(昭和36)]
第1章 復興の槌音
第1節 寄宿舎の再開
   ◎寄宿舎の再建
   ◎観月寮の日々
第2節 バラック校舎
   ◎枌葺2棟
   ◎関定
第3節 教育の復興
   ◎キリスト教教育の明示
   ◎困苦と希望
   ◎アメリカよりの救援
   ◎ホイテ前校長帰校
   ◎学習始動
第4節 二大行事の復活
   ◎お山のバザー
   ◎キャンプ(臨海学校)
第2章 教育の民主化
第1節 六・三・三制
   ◎新制中学校
   ◎新制高等学校
   ◎1週5日制
第2節 生徒会活動(自治会から生徒会へ)
   ◎自治会長選挙
   ◎生徒会の誕生
   ◎生徒会予算委員会
   ◎クラブ活動
   ◎アセンブリー
第3節 P・T・Aの発足
   ◎P・T・Aと学校
第4節 教職員組合の誕生
   ◎愛媛県教員組合
   ◎二・一ストライキ
   ◎教員組合脱退
第3章 校舎の復興
第1節 松山東雲高等女学校復興昇格後援会
   ◎復興計画
   ◎スタンレー・ジョーンズ
   ◎ピアス館再建
   ◎本校所有雑種地と青年会館跡の交換
第2節 クレアランス・S・ジレット夫妻の着任
   ◎ジレット宣教師再び日本へ
   ◎ジレット夫妻松山到着
第3節 ホイテ前校長との別れ
   ◎ホイテ前校長叙勲
   ◎恩愛不可忘
第4節 整備は進む
   ◎学校法人松山東雲高等学校
   ◎家政館
   ◎体育館
   ◎体育館フル回転
   ◎第八回国民体育大会
   ◎ホイテ館
   ◎ホイテ館実習
   ◎本館(モア チャペル)
   ◎めぐみハウス(寄宿舎)(一)
   ◎今井万里
第4章 第6代校長C・S・ジレット夫妻(前期)
第1節 ジレット校長夫妻の生い立ち
   ◎クレアランス・ジレット夫妻
   ◎祈りと生活
第2節 ジレット時代の教育
   ◎スクール・モットー
   ◎信仰と人生
   ◎無監督試験
   ◎英語教育
   ◎L・P・クレイ
   ◎研究された英語教授法
   ◎オーラル・アプローチ
第3節 松山東雲カレッジ
   ◎料理講習会
   ◎松山東雲カレッジ
第4節 ジレット夫妻賜暇帰国
   ◎ジレット校長倒れる
   ◎マリアン夫人の負傷
   ◎師弟再会
   ◎E・E・ヒューステッド
第5章 第6代C・S・ジレット校長夫妻(後期)
第1節 宗教教育と活動
   ◎YWCA
   ◎グリーン・チャペル
   ◎学生祈禱日(三)
   ◎生徒会、知事表彰を受ける
   ◎プロテスタント宣教百年記念
   ◎L・E・アッケンバック
第2節 栄養学院の設置
   ◎実力ある栄養士の養成
   ◎カレッジ館
   ◎カレッジ・栄養学院の統合
第3節 ジレット校長の召天
   ◎校長交替
   ◎発作再び
   ◎学園葬
   ◎ジレット奨学金
   ◎マリアン夫人帰米
   ◎ジレット館(生徒会センター)
   ◎記念諸行事
   ◎目で見る校史展

第7編 流動期[1962年(昭和36)〜1976年(昭和51)]
第1章 第7代校長 二宮源兵

第1節 学園将来計画
   ◎二宮源兵
   ◎学園将来のための三期計画
   ◎生徒急増対策
   ◎新ピアス館
   ◎市民クリスマス
   ◎M・H・ライフ
第2節 女性の教育
   ◎理想的な女性像
   ◎その場教育
第2章 松山東雲短期大学の誕生
第1節 短期大学(食物科)認可
   ◎松山東雲短期大学
   ◎短大家政館
第2節 短期大学開学式
   ◎開学記念日5月2日
   ◎授業開始
   ◎第8代中学高校長 白石勉
第3章 新しい東雲への胎動
第1節 桑原キャンパス(短期大学)
   ◎本館の建築
   ◎三学科増設
   ◎紫苑寮
   ◎東方グラウンド
   ◎クラブ活動
   ◎学歌
第2節 大街道キャンパス(中学高等学校)
   ◎学力の向上
   ◎定期考査
   ◎自主性の涵養
   ◎服装始動
   ◎生活指導
   ◎交換留学
   ◎楠康子
   ◎カウンセリング
   ◎性教育
第4章 創立80周年[1966年(昭和41)]
第1節 記念行事
   ◎創立80周年記念誌
   ◎記念式典
   ◎記念行事
第2節 新校舎(中高)の建築
   ◎めぐみハウス(二)
   ◎水泳プール
   ◎中高本館(二)
第3節 幼稚園を附設
   ◎園舎建築
   ◎幼児教育
第5章 大学紛争と学園
第1節 短期大学の場合
   ◎大学紛争
   ◎対話集会
   ◎短大YWCA
第2節 高等学校への波及
   ◎三里塚の夏
   ◎生活復元力
第6章 地道な教育努力
第1節 短期大学学生会活動
   ◎第1回大学祭
   ◎YWCA
   ◎生活科学の研究
第2節 クローバー・デイ
   ◎生徒会文化祭
   ◎第1回クローバーデイ
第3節 学園第2時代
   ◎理事長・学長の交替
   ◎伸張する短期大学
   ◎短大教育振興会
第4節 コントラクト・ティーチャー
   ◎J・マーフィル
   ◎C・ロッグヘア
   ◎R・ヴァージン夫妻
   ◎B・モデセット
   ◎M・クヌーツン
第7章 私立学校振興助成
第1節 公費助成運動
   ◎愛媛県私立中学・高等学校連合会
   ◎靖国法案
   ◎松山東雲学園教職員協議会
   ◎私学教育振興費助成運動
   ◎授業料直接補助運動
   ◎中学校への助成
第2節 中学・高等学校の苦悩
   ◎学園債問題
   ◎校長選出問題
第8章 創立90周年
第1節 学園体制の若返り
   ◎二宮学園長の召天
   ◎中高校長西村拓就任
   ◎松野明理事長
第2節 創立90周年事業
   ◎創立90周年記念誌
   ◎記念祝賀行事
   ◎記念美術展
   ◎懐旧座談会
   ◎記念前夜祭
   ◎創立90周年記念式
第3節 創立90周年余話
   ◎なぎなた部全国優勝
   ◎ダンス部6年連続優勝
   ◎みつばハウス改修
   ◎西南地区YWCAカンファレンス
   ◎PTAクラブ活動を後援
   ◎チャペルに十字架を
第4節 短大愛真館
   ◎チャペルと図書館
   ◎岡上学長、アメリカ大学視察
   ◎浜田喜代五郎奨学制度
第8編 拡充期[1976年(昭和51)〜]
第1章 短期大学
第1節 秘書科の新設
   ◎キリスト教教育
   ◎カリキュラム
   ◎学長の交替
   ◎秘書科
第2節 短大開学20周年
   ◎記念式典
   ◎全学科定員増
第2章 中学・高等学校
第1節 中高体育施設の整備
   ◎体育館改築
   ◎55総体
   ◎さよならピアス館
   ◎新体操大塚裕子
   ◎なぎなた部
第2節 英語科の新設
   ◎英語科定員45名
   ◎国際善意デイ
   ◎イングリッシュ キャンプ
   ◎英語暗誦大会
第3節 平和教育と同和教育
   ◎拡大ロングホーム
   ◎8月20日
   ◎同和教育
第3章 創立100周年
第1節 創立100周年に向かって
   ◎短大・中高合同協議会
   ◎東雲の歴史に学ぶ会
第2節 短期大学生活科学科
   ◎家政科食物科の改組
   ◎ニュー・モデル
第3節 アメリカン・ボードへの感謝
   ◎西村拓校長をアメリカへ
   ◎ニューヨークUCBWM
   ◎プリマス
   ◎ストラットフォード
   ◎キングストン
   ◎ジーランド
   ◎ロスアンジェルス
   ◎サウス・パサディナ
   ◎クレアモント
第4節 松山東雲学園創立100周年記念館
   ◎研修施設記念館
   ◎建築募金
第5節 創立100周年祝賀
   ◎テーマとシンボルマーク
   ◎記念賛歌
   ◎同窓会
   ◎記念学園史展
   ◎同窓会総会
   ◎記念講演会
   ◎記念音楽会
   ◎記念式と祝宴
   ◎記念美術展
第6節 学園第2世紀への出発
   ◎松山東雲女子大学
   ◎国際交流
   ◎オープン・カレッジ
   ◎同窓会