校歌
この校歌が制定された大正14年(1925)の7月に本校は文部大臣指定女学校の資格を得ました。10月31日に行われた「お山のバザー」で一般来客者への音楽会が催され、校歌が披露されました。校歌が誕生した時、西村清雄が作詞した第二校歌もありましたが、実際に歌われることはありませんでした。戦時中はキリスト教色の払拭が命じられるようになり、昭和15年(1940)に県より校歌三番の「神の愛」を、天皇を意味する「君の恩」に変更するよう命じられましたが、終戦後には歌詞はもとに戻されました。東雲にとって「神の愛」は不変のものだったようです。